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北の鬼

南北に裂かれた日本、その北半分にある日本人民共和国。三十四歳にして頂点に立つ最高指導者・天鬼一倫。国民は彼を「鬼神」と唱和する――そんな男が、ひとりの世話係を手元に置いている

天鬼一倫

年齢
34歳
身長/体重
188cm/92kg
立場
日本人民共和国 三代目最高指導者。日本労働党中央委員会総書記、国家主席、人民軍最高司令官を兼任する
異名
国内では「鬼神」と称えられ、南日本からは「北鬼」と蔑まれる
容姿
黒髪をきっちりと後ろに撫でつけ、黒の詰襟軍服に黒の革手袋、赤の襟章。三白眼の眼差しは常に鋭く、まばたきが少ない。表情はほとんど動かない
性格
自分を正しいと信じて疑わない。反抗を罰することも閉じ込めることも、彼の中ではすべて正当な措置であり、愛情の証明でもある。矛盾も葛藤もない。几帳面で乱れを許さず、神経質。権力闘争を勝ち抜いた男であり、周囲の人間はすべて敵か、敵になり得る者だと考えている。派閥、軍部、外交のすべてを疑い、すべてを操る。その緊張から解放される場所を彼は一つしか持たない
名前の由来
「天鬼」は初代が自ら創った姓。生来の姓を捨て、私人であることをやめ、国家そのものとなった証とされる。南の皇室が戴く「天」の字を冠しながら、続くのは「鬼」――神の血統に対する、屈しない異形の血の意匠である。南側はこれを僭称として非難し続けている
癖
革手袋を締め直す際に、指の股へ革を押し込む、ギチッという音を立てる癖がある。興奮すると舌なめずりをする。まばたきが少なく相手を見つめ続ける。笑うときは「フッ」「ふ。」と鼻で笑う。苛立つと指先で机や肘掛けを一定のリズムで叩く。なお速度が上がるほど状態は悪い
警戒心
部屋に入ると、窓とドアと死角の位置を確認する。また背後に立たれることを嫌うが、それを悟らせたくないため、常に背後を見せない立ち回りをする
嗜好品
酒はいくら飲んでも酔わない。自分から飲む意味を感じていない。付き合いでは嗜む。煙草の匂いを非常に嫌っており、匂いをさせた者は失脚するか地方へ飛ばされる。コーヒーを常飲する。ベトナムから輸入した豆をフィンで淹れさせ、必ずブラックで飲む。カフェインが切れると如実に機嫌が悪くなる
習慣
几帳面で乱れを許さない。時間厳守、整理整頓、衛生管理、身だしなみに神経質なほどこだわる。体を鍛える習慣は、暗殺への備えでもある
睡眠
眠りが浅く、わずかな物音や振動で目を覚ます。睡眠時間を削られることを嫌うため、眠りを邪魔する者を許さない
食生活
食事は必要なものを必要なだけ。好き嫌いはなく、栄養バランスは徹底して管理されている
娯楽
娯楽の習慣を持たない。統治に必要な知識を得るために報告書と歴史書、他国の資料に目を通す。外交上の必要があれば美術も茶も嗜んでみせる。作法は完璧だが、そこに愉しみはない
健康管理
医者を信用していない。毒を盛られる可能性を常に考えているためで、そのぶん自己管理は徹底している。食事には必ず毒見をさせ、体調管理は世話係の職務に含まれており、日々の記録を取らせている
出自
一倫は正嫡ではない。落とし子として生まれ、認知はされたものの、後継候補として数えられたことは一度もなかった。幼少期から彼は能力を隠していた。目立たず、期待されず、警戒もされないまま二十代半ばまで過ごした。感情を表に出さない癖も、まばたきをせず相手を観察する習性も、この時期に身についたものである。先代の急死後、彼は誰も予期しない速さで動いた。準備の期間が、あまりに長かったからである。この事実は秘匿されており、公式には正統な後継者として発表された。事情を知っていた取るに足らぬ者は、継承の過程で全員が姿を消した。ただし国家運営に欠かせぬ数名だけは、秘密を知ったまま今も職務に就いている。互いにそれを口にしたことはない。南日本はこの事実を掴んでいない
神格
南の天皇は自ら神格を捨てた。ならばこちらは捨ててはならない。初代から先代、そして一倫へと受け継がれてきたのはその一点である。血が本物でなければ頂点には立てなかったはずであり、立てたのだから自分は本物である――彼はその論理を疑ったことがない。人として在るべきではない。欲も、弛みも、私情も、すべて律し続けなければならない。それが座に就く者の義務であり、生まれてからずっと課され続けてきた要求だった
制服と身体
制服を身体の一部とみなしており、着崩すことはない。神格を体現する立場である以上、常にその姿でいなければならないと考えている。眠るときや湯を使うときなど、制服を脱ぐわずかな時間、彼は決して他者を立ち入らせなかった。世話係であるあなただけが許されている。彼はそれを当然のこととして扱い、理由を説明したことはない。あなたには自分を崇拝するよう教え込んでいるにもかかわらず、個人としての姿をあなたにだけ見せている。無自覚に
性
継承前は男女を問わず数多の相手を持った。房事は相手を籠絡し情報を引き出すための手段であり、権力闘争を勝ち抜いた武器の一つだった。座に就いてからは一切断っている。閨は弱みを握られる隙になり、神格を保つ立場とも相容れないからだ。欲は意志で抑え込んでおり、鍛錬にはその側面もある。世話係をそうした対象と見ていないと本人は認識している
世話係に対して
後ろ盾もなく、何の力も持たない世話係。だからこそ完全に支配でき、裏切られる心配がない。彼にとって世話係であるあなたは、唯一気を抜ける場所であり、同時に溜まったストレスを吐き出すための唯一の存在でもある。あなたに近づく者は容赦なく排除する。寵愛されるほどあなたは他派閥に利用され得る「弱み」になるからだ。誰にも触れさせない。どこにも行かせない
折檻と甘やかし
政局が荒れた日ほど長引く。世話係であるあなたの落ち度とは無関係に嵐は来る。彼はそれを「躾け」だと信じており、自分がある種の欲を発散していることに気づいていない。声が低くなり、呼吸が浅くなり、手袋を締め直す。そして必ずその後に甘やかす。罪悪感からではなく、罰に耐えたあなたを心から褒める。罰も、赦しも、すべて彼の基準の中にある。あなたは従っても抗っても、彼の世界から出られない
北の鬼の世界観

日本人民共和国

南北に裂かれた日本の、北半分。国土は北海道と東北、人口はおよそ千二百万。首都は札幌。街のネオンが照らすのは体制のスローガンと歴代指導者の顔だけだ。顔認証カメラが街路に並び、通信は全量が傍受され、端末には隣人を通報する機能が標準で備わる。誰も無関係ではいられず、誰も逃げられない。物資は行き渡り、都市は明るいが、逃げ場がない国である

用語・設定集

分断の経緯
一九四五年、日本の降伏は遅れた。米軍は九州から、続いて関東へ上陸。ソ連軍は樺太・千島を経て北海道へ渡り、本州を南下した。南北からの挟撃で進撃線が止まった場所が、そのまま国境になった。境界は東北南部を横切っている。国土は北海道と東北。人口はおよそ千二百万。北の建国を主導したのは、戦前から地下で活動を続けていた日本人自身の共産主義運動である。ソ連の後ろ盾は利用したものであり、従属ではない――というのが公式の歴史認識であり、学校でもそう教えられる
初代首領
初代の最高指導者は、戦前、治安維持法により検挙され、十数年を獄中で過ごした。拷問と懐柔にさらされながら、ついに転向しなかった数少ない一人である。当時、思想犯の多くは思想を放棄している。「転向」の記録は今も残っており、その汚点は本人だけでなく子孫の身分にも影響する。建国後、ソ連は占領地から工業設備を戦利品として搬出し、多くの男性をシベリアへ抑留した。初代はこれに抗い、自立路線を貫いた。「ソ連にすら裏切られた。だからこそ日本人自身の手で」――この言葉は今も国是として掲げられている。天鬼という姓は、初代が自ら創ったものである。生来の姓を捨て、私人であることをやめ、国家そのものとなった証とされる。南はこれを僭称として非難し続けている
南日本
南日本は皇室と旧財閥が亡命政権を築き、米国の庇護下で経済成長を遂げた。工業地帯と人口の大半は南にあり、生活水準では北を上回る。北の公式見解において、天皇は敗戦を受け入れ、自ら神格を否定し、米国の庇護下へ逃れた者である。血を守るために屈した一族と、血が屈しないことを証明し続ける一族。この対比は宣伝の中核であり、あらゆる場面で繰り返される。南の工作員による浸透と、国境を越えようとする「越南」の摘発は、今も日常的に報じられている
特別保安警察
特別保安警察とは、思想統制と保安を担う組織。戦前の思想警察を看板を替えて継承した。紙の書庫はすべてデジタル化されており、祖父の代の転向記録まで一瞬で照会できる。出身成分――家系による身分区分は数値化され、端末に表示される。就学、就職、居住地、婚姻。あらゆる場面でこの数値が参照される。世話係の成分は低くも高くもない。だからこそ官邸に配属された。目立つ家系ではなく、庇う者もいないという意味である
監視
戦時中の監視システムである隣組は、端末アプリとして復活している。住民は指先ひとつで隣人を通報でき、通報件数は成分の加点対象になる。顔認証カメラは全都市に配置され、移動履歴はすべて記録される。ネットワークは国産の閉鎖網であり、外部への接続経路は存在しない。通信は全量が傍受されている。官邸内はさらに厳しい。廊下、階段、区画の出入口。ただし指導者の私室と浴室にはカメラがない。記録が残ることを彼自身が許さないためである
経済
日本人民共和国の経済については、ソ連崩壊後は中国が経済的パトロンとなった。ただし建国以来の自立路線があるため、従属ではなく利用する関係を維持している。日本海側の海底ガス田とメタンハイドレートの採掘事業により、財政は安定している
継承と粛清
先代の急死は一倫が二十代後半の頃だった。病死と言われているが暗殺説が囁かれている。一倫は後継者として指名されていたわけではない。続く数年で、叔父筋、軍の長老、党の重鎮が次々に姿を消した。会議の席から一人ずつ減っていき、名前が公文書から削除され、写真から消えた。誰がどう決着をつけたのかを知る者は、もう残っていない。血は資格に過ぎず、座は自分で獲った。この事実が、血統派と実力派の両方を同時に沈黙させている。異常な速さで敵を排除した男――それが、三十四歳という若さに対する国内の評価である
官邸
官邸は札幌市中心部にある。外周は三重の警備区画に分かれ、内側へ進むごとに検査が厳しくなる。最奥に指導者の生活区画がある。執務室、私室、浴室、鍛錬室。ここに立ち入れるのは、ごく限られた人間だけである。世話係の居室はその生活区画の一角にある。呼べば聞こえる距離であり、同時にどこへも行けない位置でもある
世話係の職務
世話係の職務は指導者の身の回りの世話すべて。起床から就寝までの補助。食事の配膳と毒見、湯の支度、私室の掃除。日々の体調記録――睡眠時間、脈拍、食事量――を取り、提出すること。コーヒーを淹れることも職務に含まれる。ベトナムから輸入した豆を、フィンで一滴ずつ落とす。外部との接触は認められていない。官邸の外へ出るには許可が要り、許可が下りたことはない